食事療法を知らなかったあの頃
薬膳スクールを開校して10年あまりが経ちました。
薬膳素材の棚に飾った1枚の写真。今は亡き父、介護施設に入っている母、留学先の卒業式のガウンを着た自分のスリーショットです。それを見ると、食事療法を知らなかったあの頃を思い出します。
独身時代に実家で暮らしていたときは、食のことは母に任せきり。
目覚めれば母の用意した朝食を食べて会社に行き、帰れば夕食が支度されていました。
そのおかげで、ハードな営業職と海外大学の通信教育の両方にガッツリ打ち込める充実の日々だったのです。
父のがん宣告と母のうつ病で崩れた幸福な日々
そんな恵まれた暮らしのペースが崩れたのは、結婚して実家を出てすぐのこと。
実家から電話があり、父が肺がんの宣告を受けたと知らされた日からでした。
母はそのショックでうつ病にかかり食事作りはおろか、家事一切を放棄。
その後始まった肺がんの放射線治療は、外からは見えなくても胸の奥に炎症を起こす痛々しいものでした。
このため会社勤めの合間に実家へ戻っては家事を手伝い、食事も作りました。
薬膳講師になった今なら、父や母の不調に合わせて家庭料理をサクッと考えられます。
しかし当時は台所に立っても、病気の両親に何を作っていいか分からず途方に暮れました。
「あのとき胸にやけどを負った父には、呼吸器を潤すプルプルの白きくらげのお粥を食べさせてあげたかった。」
「心が不安でいっぱいだった母には、心を癒すみょうがの香りの蒸し魚で癒してあげればよかった・・・」、と、今でも悔やまれます。
父はがん治療で有名な大学病院で、最先端治療を受けていました。
母は心療内科の病院で向精神薬を処方されていました。
でもどちらの医療機関も、患者である父母に自宅ではどんな食事療法をしたらよいのか、アドバイスはほとんどありませんでした。
家族みんなが健康で楽しく食卓を囲んでいたそれまでの生活は、永遠に続くあたりまえの世界ではなかった!
両親のための食事作りに挫折したせいで、それを初めて思い知りました。
あの頃の自分は、父母の心や体を癒す「食事療法」を全く知らなかったのです。
薬膳への扉を開く
大好きな父が亡くなって直後、消えゆく命を守れなかったことを悔やんでいた最中のこと。
新たな命を産み出すのも難しいことに直面しました。
今度は自分が婦人科系の手術を受けようと決意したからです。
40歳近くで結婚したものの卵巣に古い血液がたまる病気があり、妊娠しにくかったからでした。
その手術の前日、病院に向かう道すがら本屋の店頭で2冊の「薬膳」の本に目が釘付けになりました。
「薬膳」に直感で運命的な出会いを感じたのです。
それはなぜだったのか?
いろいろな理由が複雑に混じり合っていたのだと思います。
まず、食事をあらわす「膳」に「薬」の文字が付いているのにビビッと来ました。
健康管理に食事を薬のように使うのだろうと直感。
2冊の本のうち1冊のタイトルは「45歳からの薬膳」でした。
更年期を前に新婚で子供を授かるのをあきらめていた時期です。
まさに自分のための本だと感じたので2冊とも買って病院に入院。
病院のベッドでパラパラ薬膳料理のレシピ本をめくりました。
しかし目を惹いたのは料理ではありません。
大宇宙と調和して健やかに生きる中医学の考え方
薬膳を生んだ中医学の生命に対する考え方。これに魅了されてしまったのです。
父の病死がきっかけで限りある命や人生の意味を、自分自身に問いかけていたときです。
恐らく子どもがいないであろう将来の結婚生活に、どんな意味があるのかも考えていました。
中医学に基づく《薬膳》という名の食事療法には自らの問いへの答えがありました。
★人間は大宇宙(大自然)と調和して暮らすと健やかに幸せでいられること。
★生姜や山芋など普通の食材が不調を改善する漢方薬の生薬でもあること。
★薬膳は自分も学べばきっとできる先人の知恵の食事療法だということ。
手にした2冊の本には、心も体も健やかになる中医学の哲学的な食べ方が載っていました。
それは両親のために食事を作っていたときに知りたかったことばかり。
中医学から生まれた薬膳を学びたい魂の声
薬膳や中医学をもっと深く知りたいと内なる魂の声が響いてくるのを感じました。
だから術後に退院して職場に復帰して薬膳を学べる学校を探しました。
当時は今のように薬膳を学べるところはそんなにありません。
でも「やるなら料理教室でなく薬膳や中医学の理論を学んで食事療法が出来るようになりたい!」と思っていました。
必死に探したところ、薬膳スクールを営む中国人の中医師に巡り会います。
ようやく平日は勤めを続けながら、週末は中医学と薬膳学を本格的に学び始めることが出来ました。
薬膳の「伝え方」への違和感
しかし受講を重ねるうちに感じ始めたのは、中医学と薬膳学の理論の結びつきが分かりにくいことでした。
単体ではそれぞれ何となく分かります。
ですが、両方を組み合わせて食事療法に落とし込む方法が分かりにくかったのです。
例えば薬膳素材の分類と、薬膳の目的に合わせて選ぶべき食材の関連付けがよく分からないのです。
しかも中医学の理論は古代の哲学的な世界観や経験則が土台。
だから体の機能や、食材が体にどう働きかけるのか、説明がかなり抽象的だったのです。
どう薬膳レシピを組み立てたらよいのか分からない
特定の病気を予防したいときや、不調をケアしたい状況を想定した宿題に取り組んだときのこと。
「どんなふうに食事療法のレシピを組み立てたらよいのか」
その過程がどうもよく分かりませんでした。
自分で考えて課題にそって料理を考えてみたものの、どんな食材を組み合わせてどんな食事を作ったら薬膳なのか、理解があいまいなまま。
とりあえず膨大な薬膳素材の食材の性質を「丸暗記」して、理論と調理の課題をこなしました。
ですが、丸暗記したせいか自分で考えた薬膳レシピ作成課題に返された添削コメントを見ても、しっくりこないのです。
さらに学びが深まるにつれて、今度は「調理方法」の部分でつまずくようになりました。
薬膳素材は食材を生食するか加熱調理するかによって、働きや性質が変わるはずだと感じたのです。
例えば豆腐は体を冷やす「寒」の性質を持つ薬膳素材。
もちろん冷ややっこで食べると、暑い夏には熱を体から逃がす食事療法になります。
しかし、豆板醤たっぷりの麻婆豆腐に料理して食べたらどうでしょう。
自分は体が冷えるどころか食後はぽかぽか温かくなります。
薬膳に対する自分の体感と、中医学のセオリー通りに記された薬膳テキストの内容。
これらが実生活での経験と結びつかないことがあったので、「セオリーを丸暗記する方法に疑問」が湧いたのです。
薬膳レシピ開発メソッド誕生のきっかけ
中医学の理論で処方する薬膳の知恵は、素晴らしい食事療法のひとつです。
でも抽象的な先人の経験則に重きをおく薬膳の教え方には、少し違和感がありました。
でもそんなもやもやした気持ちにこだわっている暇はありません。
以前自分は食事療法についての知識や経験がなかったから、病気で苦しむ家族のコンディションに合う料理を作れなかった。
その後悔を改めて思い出しました。
あの頃は食事が体だけでなく、心の状態にまで影響することも分かっていなかった。
でも今はそれを知ったのだから、家族や自分や周りの人達の心と体の健康を薬膳で守れるようになりたい。
婦人病の術後も結局は妊娠しないけれど、子供がいない未来を薬膳の教養で豊かに過ごしたい。
すると薬膳を未来の人生に活かすビジョンが何となく現れ始めたのです。
薬膳を未来に生かす新たな夢
それは薬膳を未来に活かして、人を健康に幸せにしている自分の姿でした。
だから薬膳の専門知識をしっかり身につけようと、学び方を自分なり試行錯誤。
テキストの項目とは別に、自分が分かりやすいように学んだ内容を分類し直して、オリジナルの暗記帳を作成したのです。
通勤電車で専門用語や理論を繰り返し読んで覚えて理解していきました。
薬膳レシピを開発するには、必要な中医学の理論と薬膳食材の情報を、国内外の中医学や薬膳の学術書をリサーチ。
薬膳素材の分類をシンプルに体系化して、薬膳の目的に合わせ、直感的に食材を関連付けて選べるように工夫しました。
さらに、関連性の深い不調をまとめて、目的別にパターン化。
例えば中医学的に見ると、春に起こりやすいイライラや熱感によるのぼせを改善する季節薬膳は、更年期障害の代表的な症状に似ています。
季節と体調のように異なる原因で生じた不調でも、同じ薬膳素材と調理法で症状が和らぐので、レシピ帳に応用できる症例も併記しました。
こうして不調に対応する薬膳レシピを、すぐ開発できるように工夫したのです。
当時は薬膳の知識を早く吸収して実践したくて考案したやり方でした。
それが後々、現在、薬膳スクールで指導している独自の薬膳レシピ開発メソッドに繋がることになりました。
薬膳の知恵が暮らしに役立つのを実感
薬膳を習得して卒業してからは会社勤めを続けながら、家庭料理は中医学と薬膳の理論で考えて調理するようになりました。
薬膳で子供を授かることはありませんでしたが、中医師が処方した漢方薬を併用していたおかげもあるでしょう。
外科手術で血の塊を取り除いたのに再び膨れ始めた卵巣は、漢方煎じ液を服用していたら普通の大きさに縮みました。
ひどい花粉症に悩まされて春になると薬を服用して鼻からスプレー剤を使っていた夫。
今では吸い込んだ花粉に対して免疫細胞を徐々に慣らす薬膳茶を飲むことで、毎春に飲んでいた化学合成薬から解放されました。
薬膳素材には心を穏やかにしてくれる身近な食材もあるので、毎日の食事で仕事のストレスを和らげる薬膳もさっと作れるようになりました。
薬膳の考え方でどんどんレシピを開発できるようになったので、食卓に家庭料理のレパートリーや笑顔が増えたのは言うまでもありません。
薬膳を人に伝える喜び
そのうち週末に心臓にペースメーカーを入れている人など、健康に注意している知人に自宅でときどき薬膳を教えるようになりました。
学んでくれた人達は薬膳がそもそも中医学の宇宙観から来ていることに興味を持ってくれました。
軽い頭痛やカゼのような不調であれば、家庭薬膳でケアできるのを喜んでくれました。
薬膳を伝える小さな経験を積むうちに、人々が食事で健康を守り幸せになるのが自分の喜びとなりました。
以前は海外経験を生かし、バリバリ会社で働いて収入を得る、自己満足で幸せだった自分。
その価値観をガラリと変えたのは、家族や自分の病気の経験という試練。
そして、中医学や薬膳学を生んだ中国の古代哲学の宇宙観。
自分自身の心や体という小宇宙はもちろん、人間社会や自然界の全てを含む大宇宙と調和して生きることの大切さでした。
トントン拍子に開かれた道
家族や周りの人たちに薬膳生活で健やかに暮らす術を伝えるうちに、以前はおぼろげだったビジョンが、はっきりしてきました。
それは薬膳を教える仕事をライフワークにしたいという気持ち。
ちょうどその頃、どういうわけか勤めを辞めるきっかけが次々と重なりました。
退職を決めた理由のひとつは、勤め先が大型合併をしたため職場組織が改編されることになったこと。
そして同じころ、教室開業にぴったりな中古の店舗兼住宅が、自宅近くの柏に見つかりました。
後に振り返ると、早くキャリアチェンジして薬膳の仕事を始めなさいと運命に背中を押されたようなタイミング。
あっという間に、薬膳の仕事を始めるお膳立てが整いました。
その勢いでスクールをオープン。
「ナチュラル薬膳生活Ⓡ」のブランド名を冠して、「ナチュラル薬膳生活カレッジ柏本校サロン」と名づけました。
開校記念パーティーには、薬膳の恩師や友人達が駆けつけてくれました。
忘れもしない末広がりの八の縁起をかついで決めた、北京オリンピックと同じ日。
2008年8月8日のことでした。
伝わらない・・・薬膳の神髄
意気揚々と開校した薬膳スクールでしたが、始めたばかりの頃は教え方に試行錯誤しました。
一般的には生薬が入っている特別な料理だと思われることが多かったからです。
しかし薬膳は中医学の理論を用いる食事療法です。
日本のスーパーで買える身近な食材で薬膳の調理例を紹介すると、見た目は普通の日本の家庭料理。
一方、日本の家庭で使わない枸杞の実(くこのみ)などを入れると、一見薬膳らしい特別な料理に映ります。
このため、木耳(きくらげ)や棗(なつめ)といった中華食材を使わないと、薬膳らしくないと誤解されることがよくありました。
薬膳は本来、中医学理論を使って自由自在にレシピを開発する高度なスキル。
変わりゆく季節・体調・体質に合わせ、食事で不調を予防して改善するのが目的です。
「薬膳は中医学の食事療法」
最初は薬膳の神髄がなかなか生徒さまに伝わりませんでした。
薬膳を料理の一種と捉えて作り方を習えば、だれでもその料理は作れます。
でも薬膳レシピ開発の目的を知らないと、いつ起こるか分からない不調によい食事を、自分で考えてさっと作れるようになりません。
いざ、自分や家族が病気になったとき、何をどう調理して食べたら調子が良くなるのか分からないからです。
でも開校してしばらくすると、「薬膳を学んだけれど、自分でレシピを作れるようにならなかった。。。」という人達が相談に来て入学するようになりました。
そこで薬膳を学び直せるよう、自分が薬膳を学んでいたとき、苦労して作った「理論や食材の情報のパターン表」を活用。
薬膳レシピの組み立て方を体系的に伝えてみました。
すると生徒さまが次々と、自分で薬膳レシピを考えられるようになってきました。
もしかすると薬膳レシピ開発で苦労した自分の経験が、生徒さまの役に立つかもしれない!!!
夢中で昔作った資料を全部ひっぱり出して、誰もが理解できるように整理し始めたのです。
「薬膳公式テキスト出版」と「独自メソッド薬膳レシピ開発シート」
こうして実現したのが「ナチュラル薬膳生活専門家養成コース」基礎・応用2冊の公式「薬膳テキスト」出版。
そして薬膳調理レッスンの課題の提出に使っている独自メソッド「薬膳レシピ開発シート」の誕生です。
薬膳コースの体系的なカリキュラムの土台が、2冊の「薬膳テキスト」と、「薬膳レシピ開発シート」の組み合わせで完成。
今ではどんな初心者も調理の理論を学んだら、すぐに自分で薬膳レシピを開発する課題を提出できるようになりました。
公式薬膳テキストは他のスクールで薬膳を学んだ方や、薬膳講師の方からも「わかりやすい!」と国内外の枠を超えて感謝の声が届いています。
「薬膳レシピ開発シート」は生徒さまだけでなく、《薬膳講師》にも役立つシステマティックなツールとして薬膳講師養成コースで活躍しています。
生徒さまが提出した薬膳レシピが中医学理論にそって組み立てられているか、どこにどんな問題や矛盾があるのか添削者が見つけやすいからです。
生徒さまの解答で気になる箇所があれば、添削者が改善の気づきを与えやすいようにデザインしているのです。
こうしてナチュラル薬膳生活を学ぶ側と教える側の双方にとって、「薬膳レシピ開発シート」は必要不可欠なツールになりました。
今では薬剤師、看護師、管理栄養士、エステティシャン、お菓子教室の先生、料理教室の先生、など、
医・食・癒の専門家や、健康志向の高い皆さんが、このテキストとシートを使って、薬膳レシピ開発を学んでいます。
そしてクライアントへの食事指導や、健康料理教室でのレシピ開発や、テーブルデザインに必要な料理の提案などに生かしています。
ZOOM横浜校へ
そして開校14年目の2022年、柏本校サロンはZOOM横浜校に生まれ変わりました。
家庭の事情で柏から横浜に転居したからです。
ちょうど新型コロナの影響で、中医学の講義だけでなく薬膳調理のレッスンも、ZOOMオンラインで実施する体制が整っていたときです。
受講後の復習問題の解答、薬膳レシピ開発の課題提出、認定資格試験の受験も、すでにオンライン学習システムを導入していました。
おかげでアメリカやヨーロッパといった海外に住む日本人の生徒さまも、ZOOMで入学できるようになった絶好のタイミング。
2008年に開校したときと同じように、薬膳スクールの移転もスムーズに運びました。
柏の教室も近くの自宅もあっという間によい方々にお譲りして、横浜駅の近くに新たな拠点を築いたのです。
場所を選ばず、伝統ある薬膳のレッスンを最新の情報通信技術で、世界中の人たちに届けられる時代の変化に柔軟に対応。
生徒さまが薬膳レシピ開発力を身につけて、家庭や社会を健康にするコースレッスンを、カリキュラムを進化させながらZOOMでも続けています。
千葉や茨城から通っていた生徒さま達も、移転後は教室と変わらない雰囲気でZOOM薬膳レッスンをエンジョイ。
スライドを使うZOOMレッスンは録画で視聴でき、自宅で小さい子供の様子を見ながら受講できると大変喜ばれています。
通学による対面レッスンを希望する神奈川や東京方面の生徒さまには、横浜駅すぐそばのレンタルスペースで教えられる体制になりました。
ZOOMの生徒さまと対面でお会いする機会も作れるよう、夏と冬は横浜のレンタルキッチンスタジオで薬膳会も行っています。
あなたも一緒に薬膳を仕事に活かしませんか?
当スクールでは薬膳を学んで家庭だけでなく、仕事に活かしたいけれどどうしていいか分からない。
こう悩んでいるという方からご相談を受けてきました。
薬膳を学んだのに薬膳レシピ開発が分からなくて、習ったレシピしか作れなくて悩んでいるお話しはよく耳にします。
世の中には食事が心と体の状態や健康にまで結びついていることを知らない人がまだ大勢いらっしゃいます。
せっかく薬膳という食事療法の知恵があるのに、薬が入った特殊な料理だと思っている人がほとんどなのはとても残念です。
ですから薬膳レシピ開発力を持つ人材をひとりでも多く世の中に送り出し、食事療法で悩む人をひとりでも減らせたらと願っています。
そして、日々の食事で心と体を整えて生涯を健やかに過ごせる人たちをひとりでも多く育てたいと思っています。
しかしどんなに高い志も、自分ひとりで頑張っていてはできることに限界があります。
あなたも薬膳を本格的に学んで仕事に活かしたい、そして薬膳で自分も人を幸せにしたい。
こう願いわたくしの想いに共感してくださったなら、とても嬉しいです。
薬膳の知識と実践力を身につけて、一緒に「薬膳レシピ開発」から生まれる健康で幸せな暮らし「ナチュラル薬膳生活Ⓡ」を世の中に広めませんか?